京都市指定・登録文化財−美術工芸


まふちゃくしょくようせんずへんがく わかすぎいそはちひつ
麻布著色洋船図扁額 若杉五十八筆
船が礼砲を打つ光景を描く。寛政3年(1791)に,長崎系の洋風画家である若杉五十八(1759〜1805)が,舶載の筆彩銅版画を模写したと考えられるもの。

ほうじょうしょうへきが かのうこういひつ
方丈障壁画 狩野興以筆
等持院方丈は,もと妙心寺海福院にあったものを文政年間(1818〜30)に内部の障壁画と共に移築したもの。元和年間(1615〜24)初期に遡る,狩野興以(〜1636)の障壁画の遺例。

ほうじょうしょうへきが かのうたんゆうひつ
方丈障壁画 狩野探幽筆
方丈南側に水墨で「龍虎図」「梅に波涛図」「竹虎図」を余白を大きくとって描いた,探幽の大作。

しほんぼくがとうほうず ろっきょくびょうぶ かのうたんゆうひつ
紙本墨画董奉図 6曲屏風 狩野探幽筆
董奉は呉の人で医術に妙を得た仙人。彼に関する故事を描いた狩野探幽(1602〜74)初期の作品。

しほんきんじちゃくしょくしきまつず ろっきょくびょうぶ かのうたんゆうひつ
紙本金地著色四季松樹図 6曲屏風 狩野探幽筆
若松から老松に至る4株の松樹を通して四季を表現。探幽の大和絵研究の成果が窺える。
けんぽんちゃくしょくぎょくほじょうそうぞう
絹本著色玉甫紹?像
大徳寺塔頭高桐院の開祖で,細川幽斎の弟にあたる玉甫紹?(1546〜1613)を描いたもの。自賛の年紀と,画面左下端の印章から,桃山時代の巨匠の一人,長谷川等伯が慶長14年(1609)に描いたものとわかる。簡潔かつ的確な描写が特徴で,等伯最晩年の肖像画基準作の一つとして貴重。

けんぽんちゃくしょくとよとみひでよしぞう
絹本著色豊臣秀吉像  
数多い豊臣秀吉像の中でも体躯の均衡の点で誇張がなく理想化をおさえた作品。天竜寺第195世三章令彰(さんしょうれいしょう)の賛文から,秀吉一周忌にあたり,秀吉に恩顧を受けた北政所の従兄弟杉原長房が慶長4年(1599)に作らせたものと判断される。秀吉没後翌年の制作になることから,像主の容貌の真をよく伝えるものと考えられる点においても貴重な作例。

けんぽんちゃくしょくたちばなむねしげぞう
絹本著色立花宗茂像
立花宗茂(1569〜1642)は九州柳川藩の藩主で,豊臣秀吉のもとで天下統一,朝鮮出兵にも従っている。本図は,承応3年(1654)の原本を土佐光起(1617〜91)が貞享5年(1688)に模写したもの。

しほんきんじちゃくしょくとうじんぶつず しほんきんちゃくしょくしきかちょうず ざちょうびょうぶ かのうしょうえいひつ
紙本金地著色唐人物図2,紙本金地著色四季花鳥図2,座頭屏風  狩野松栄筆
座頭屏風は禅宗本山系寺院の調度の一種で,儀式の際に用いられる一対の小型の衝立。本作には唐人物図と四季花鳥図とを表裏に描き分ける。作風から狩野永徳の父狩野松栄(1519〜92)の作と考えられ,桃山時代前期にさかのぼる金碧画遺品の一つとして貴重。

もくぞうあみだにょらいざぞう
木造阿弥陀如来坐像
西向寺の客仏として安置されているものである。面幅の広い豊かな面相で,肩幅を十分にとり,膝張を小さくして小づくりな感じにまとめた藤原風の像で,眼が極端に細く,衣文に一種の動きが見られる点や,木寄せの細かさなどから平安時代後期の制作と考えられる。西向寺に蔵される,もう1体の阿弥陀如来坐像と膝前の衣文を除くと,大変よく似ており,本体台座を含めて同一作者または同一工房による制作と考えられる。なお,像内に納入された文書から本像がもと上賀茂御堂西念寺の像であったことがわかる。

もくぞうあみだにょらいざぞう
木造阿弥陀如来坐像
西向寺の客仏として安置されているものである。面幅の広い豊かな面相で,肩幅を十分にとり,膝張を小さくして小づくりな感じにまとめた藤原風の像で,眼が極端に細く,衣文に一種の動きが見られる点や,木寄せの細かさなどから平安時代後期の制作と考えられる。西向寺に蔵される,もう1体の阿弥陀如来坐像と膝前の衣文を除くと,大変よく似ており,本体台座を含めて同一作者または同一工房による制作と考えられる。なお,像内に納入された文書から本像がもと上賀茂御堂西念寺の像であったことがわかる。

もくぞうやくしにょらいざぞう
木造薬師如来坐像
大森東町の安楽寺の本尊である本像は,坐像としては珍しく,ほぼ全体をヒノキの巨材一材から彫り出す。肉身部は漆箔,衣は彩色,眼は彫眼で仕上げられている。全体に寸のつまった塊量性の豊かな造形で,粗々しく豪快な作風から平安時代前期の制作と考えられる。

もくぞうにょらいぎょうりゅうぞう
木造如来形立像
本尊薬師如来坐像と同じく安楽寺本堂に安置される。頭部を小ぶりにまとめた姿態は奈良時代の木彫の特徴を受け継ぐ。また,両袖口には15個の旋転文を配す点が注目される。これは古密教系彫刻等,平安時代初期の作例にしばしば認められるもので本像はその極点を示すものとして貴重。

もくぞうそうぎょうざぞう もくぞうてんぶぎょうりゅうぞう
木造僧形坐像1,木造天部形立像1
安楽寺に伝わる一連の仏像。僧形坐像は,角張った顔に大ぶりな目と口を配し,皺を深く彫り込んだ,他に例を見ない厳しい老相で,聖僧文殊像と考えられる。特に顔面の彫り込みは深く鋭く,対して衣文は大まかで塑像風の柔らかさを表す。制作年代は木造天部立像をはじめ当寺の他の諸仏と同じく,9世紀中葉を下限とする頃と推定される。天部形立像は,短躯肥満で,顔面に鎬立った鋭い皺を走らせた厳しい風貌で,僧形坐像と類似する。右手を振り上げたポーズから,持国天か増長天のいずれかと考えられる。

もくぞうぼさつりゅうぞう
木造菩薩立像
わずかに肥満気味に整えられたプロポーションや優しく円満な相貌,各部の丸みのある膨らみなどから,本像は定朝以降の和様の熟成したころの特色を示す,12世紀前半の美作。なお,平成2年度の修理により後世に十一面観音に改変されたことがわかり,頭上面を取り去って旧に復している。

もくぞうあみだにょらいりゅうぞう
木造阿弥陀如来立像 
生々しさを捨て,衣の起伏が複雑になっていく13世紀半ば頃の特色をよく示した,安阿弥様の流れに属する像。また,着衣に配された繊細な截金文様は当初のものをよく留める。当寺に安置された由緒は明らかではないが,本像の像内納入品から,嘉禎元年(1235)という本像の造立年代,沙弥昇蓮・比丘尼善阿弥陀仏という二人の願主が判明し,納入品も完存する点において貴重な作例である。なお,体内に黒漆を塗って納入品を納める本像の手法は,阿弥陀寺(滋賀県西浅井町)の行快作木造阿弥陀如来立像と共通する。

こんどうほうおう
金銅鳳凰(旧金閣屋根頂飾)
金銅製の本鳳凰は旧金閣の屋根上に飾られていたものを,明治の解体修理の際に別途保存したもので,応永4年(1397)の金閣建立当初のものと伝える。頭部が大きく,脚部のやや短い鳳凰で,総体に肉取りの厚い重厚な姿で表現されている。また頭部や翼部の下面は丁寧な造作になる。制作時期は室町時代と考えられ,伝承も妥当性が高いと言える。

かくめいき
隔冥記
江戸時代初期の鹿苑寺住持鳳林承章(ほうりんじょうしょう)(1593〜1668)の自筆日記。寛永12年(1635)から寛文8年(1668)までの分が現存。公家を中心とした文化サロンの動向を知るうえで不可欠の資料。

しほんちゃくしょくかもわけいかずちじんじゃえず
紙本著色賀茂別雷神社絵図
鎌倉時代後期頃の古図をもとに,室町時代後期に制作された大幅。本殿や橋殿はもちろん,今日その姿を消している斎院御所や神宮寺関係の建物群をも描きこんでいる点で貴重。

ろくおんじしゅつどのしゅら
鹿苑寺出土の修羅
修羅とは巨石等の重量物を運搬するための道具。鹿苑寺庭園の発掘調査により池跡から出土したもので,年代は15世紀と推測される。中世の土木技術を知る上で貴重な資料。

ほうじょうしょうへきが かのうこういひつ
方丈障壁画 狩野興以筆
等持院方丈は,もと妙心寺海福院にあったものを文政年間(1818〜30)に内部の障壁画と共に移築したもの。元和年間(1615〜24)初期に遡る,狩野興以(〜1636)の障壁画の遺例。

いまきたけもんじょ
今北家文書
北山杉の山地である北区大森に伝わる江戸時代初期からの文書。山売渡証文,銀子借用証文や争論関係を含む口上書類,また菖蒲役関係の文書など,山間林業村落を理解する上で貴重。

いわさけもんじょ
岩佐家文書
上賀茂社家及び賀茂六郷関係の文書。賀茂六郷の中世的形態や中世末期に形成した上賀茂周辺の門前町の形成過程・形態等を知る上で貴重。

けんぽんちゃくしょくいてんそうせいぞう せっそんひつ
絹本著色以天宗清像 雪村筆 
本図は戦国時代に活躍した禅僧画家,雪村周継(1492/1504〜?)が描いた箱根・早雲寺の開創,以天宗清(1472〜1554)の肖像画である。以天宗清は京都の生まれで,大徳寺第83世。大永2年(1522),北条氏綱の招きで,早雲寺の開祖となった。本図には天文19年(1550)に記された以天の自賛がある。制作年が判明する作例が少ない雪村の作品中,貴重である。また,本図のように手堅い作風の著色人物画は雪村には珍しく,雪村の画技の幅を示す希少な作例でもある。

けんぽんちゃくしょくさくましょうげんぞう
絹本著色佐久間将監像
本図は徳川将軍に仕えた,佐久間将監真勝(1588〜1642)を描いた肖像画である。本図の賛者,江月宗玩(こうげつそうがん)(1574〜1643)は大徳寺156世の住持。当代随一の文化人でもあった。 筆者は伝承どおり狩野探幽(1602〜74)と考えられ,探幽の肖像画として高く評価できる。また,本図の将監は隠者のスタイルで描かれている。正装が多い武家肖像画の中,自身を隠者の姿で描かせた本図は「物数寄(ものずき)」と評された将監にふさわしく,寛永期の文化人の交流と嗜好を物語る作品として重要である。

しほんきんじちゃくしょくひきうまずへんがく そがちょくあんひつ
紙本金地著色曳馬図扁額 曽我直庵筆
慶長15年(1610)に豊臣秀頼が武運長久を祈願して奉納したもの。2面1対となる総金地画面に,静動対照的な馬と馬丁を華麗な色彩で描く。

しほんきんじちゃくしょくからじしず よんきょくびょうぶ かのうさんらくひつ
紙本金地著色唐獅子図 4曲屏風 狩野山楽筆
金地に巨大な唐獅子を描く。当初は障壁画の一部であった可能性が高い。桃山時代の画家狩野山楽の作。

しほんきんじぼくがろうかくさんすいず ろっきょくびょうぶ かのうさんらくひつ
紙本金地墨画楼閣山水図 6曲屏風 狩野山楽筆
金地墨画という手法を用いた作例としては最古の部類に属すもので,山楽の基準作例としても貴重。

しほんぼくがちくりんしちけんしょうざんしこうず ろっきょくびょうぶ かのうなおのぶひつ
紙本墨画竹林七賢・商山四皓図 6曲屏風 狩野尚信筆
右隻に商山四皓図,左隻に竹林七賢図を配す。共に中国古代の隠士を描いたもの。狩野探幽の次弟・尚信の,潤った墨色を持つ軽妙洒脱な壮年期の作例。

しほんちゃくしょくかちょうず ろっきょくびょうぶ かのうえいのうひつ
紙本著色花鳥図 6曲屏風 狩野永納筆
一双に春の景観を描く。筆者の狩野永納(1631〜97)は狩野山楽を祖とする京狩野家の三代目。

けんぽんちゃくしょくわたなべじょうけいみょうけいふさいぞう
絹本著色渡辺浄慶妙慶夫妻像
室町時代末期における妙蓮寺の復興に寄与した同寺檀徒渡辺浄慶妙慶夫妻を描いた伝統的な大和絵肖像画の遺品。日蓮宗を信奉する近世初期の富裕な町衆を描いたものとして珍しいだけでなく,本格的な夫妻像の古例としても貴重なもの。制作時期は図上の妙蓮寺第12世日堅の墨書等から,浄慶没後,妙慶及び日堅の存命中,すなわち永禄8年(1565)以後,同13年(1570)までの間とわかる。

けんぽんちゃくしょくにっしんしょうにんぞう
絹本著色日親上人像
本法寺の開山日親の肖像画の優品。本法寺第3世日澄によって,画面上部に法華経の経文,像右脇に像主名,下部に「日澄」と「日應」の願主名が記されたと考えられ,彼が制作の中心人物と推測される。制作年代は,日澄が第3世となった延徳元年(1489)から彼の没年(1515)までの間が想定される。また,本図の作者については,『等伯画説』の記述等から狩野正信と推測される。

しほんぼくがたんさいかちょうず ざちょうびょうぶ かのうたんゆうひつ
絹本墨画淡彩花鳥図 座頭屏風 狩野探幽筆
座頭屏風は禅宗本山系寺院の調度の一つで,儀式の際に用いられる一対の小型の衝立。本作例は4面すべてに花鳥画を配したもので,1基に「梅に鳩図」と「蓮に鶺鴒(せきれい)図」,もう1基に「竹に雄鶏図」と「柳に尾長鳥図」が描かれている。簡潔で柔らかな水墨描写が顕著な本作は,江戸幕府御用絵師・探幽が慶安元年(1648)に制作したもの。

しほんぼくがじゅうろくらかんず
紙本墨画十六羅漢図 
本図はもと壁貼付で,現在は4画面に分割され,掛幅に改装されている。「狩野法眼元信筆七十五歳」の款記と朱文壺形「元信」印があり,天文19年(1550)の制作とわかる。桃山様式の萌芽といってよい動的表現や部分的にやや形式化した描写も目につくところから狩野元信が高弟を動員して制作した工房制作と考えられる。

しほんきんじちゃくしょくひがしやまゆうらくず
紙本金地著色東山遊楽図 6曲屏風
やや小型の屏風一双に,清水寺から法観寺五重塔を経て,祇園松原,祇園社へと続く東山一帯が描かれた近世初期の社頭遊楽図。桜が咲き誇り貴賎群衆で賑う東山を事細かに描いたもので,筆者には狩野派の絵師が想定される。描かれた人物は多彩,かつ精緻に表現され,建物や樹木などの描写も的確である。保存状態も極めて良好で,東山遊楽図の佳品として貴重。

しほんきんじちゃくしょくだんじょゆうらくず
紙本金地著色男女遊楽図 6曲屏風
総金地の中屏風に,琴棋書画に見立てられた遊びに興ずる十二名の男女がリズミカルに配された,近世初期の室内遊楽図。人物のポーズや着物の文様・色,裾の形等に「彦根屏風」(国宝・彦根市所蔵)との共通項が多く,同時代の翻案作品と考えられる。さらに本図は後世の遊楽人物図に影響を与えている。保存状態の良好な近世初期の風俗画の佳品として貴重。

いまみやじんじゃおもだかほこふきちり
今宮神社沢瀉鉾吹散
吹散は剣鉾が差される際に棹頭から吊り下げられる一条の布地。制作年代,作者名が織り込まれており,綴錦の歴史を知る上での基準資料となる19世紀の貴重な作例。

たちばなまつたけつるかめまきえぶんだいおよびすずりばこ
橘松竹鶴亀蒔絵文台及硯箱 
北野天満宮での連歌において用いられた文台と硯箱で,硯箱の底に記された銘文によると,豊臣秀吉の右筆であった山中長俊が,河越弥左衛門なる人物に命じて制作させ,慶長2年(1597)に奉納したもの。作者,奉納年月,寄進者を明らかにする基準作例として貴重。

ぼんしょう
梵鐘 
当寺鐘楼に懸けられている鋳銅製の本梵鐘は,康暦元年(1379)7月に円阿弥陀仏の勧進により,京都の鋳物師と思われる大工藤井国安が制作したもの。鎌倉時代の様式を受け継いだ南北朝時代のもので,鋳肌がやや荒いものの形姿が整い,制昨年,作者,勧進僧が明らかにする点で貴重。

こんどうほうおうきくきりもんつりどうろう
金銅菊桐文釣燈籠 
本釣燈籠は,北野天満宮に伝わる釣燈籠のうち,慶長2年(1597)という最古の銘文をもつもの。釣燈籠は桃山時代以後,鉄や銅を素材とした鍛造品が主流を占めるようになるが,本釣燈籠は2基ともに銅薄板による鍛造品で,そうしたなかでも早い時期のもの。また,銘文から,奉納者が伝承通り豊臣秀吉・秀頼父子に特定しうる。

はんぽんうたいぼん ひゃくばん さがぼん
版本謡本 百番(嵯峨本)
本書は観世流能の謡本で,八坂神社所蔵本と同じく嵯峨本の一つ。嵯峨本は,豪商角倉素庵が慶長10年(1605)頃からほぼ10年間にわたって出版したもので,表紙などに雲母摺り絵を施し,本阿弥光悦の書風による版下を使用する点に特色がある古活字本。現存する数少ない百番揃いであり,出版文化史上においても価値が高い。
                  あらきこへいさく

ジャカード機  200口 荒木小平作
ジャカード機は織機の上部に備え付ける紋織機のこと。本機は国産最初期のもので,西陣の近代化を考える上で欠くことの出来ないもの。

かみぎょうもんじょ
上京文書
元亀4年(1573)7月の織田信長朱印状を最古として以後幕末までのものを含む。なかでも,中心をなす天正年間(1573〜92)の15点は,桃山時代の京都を知るうえで興味深い文書。

むろまちかしらちょうもんじょ
室町頭町文書
当町宛のものと上京中または立売組宛のものの2系統からなる。前者には室町幕府が発給した禁制等があり,後者には永禄12年(1569)の織田信長精撰追加条々等が含まれる。

じゅらくきょうかいしょぞうもんじょ
聚楽教育会所蔵文書
既に慶長から元和年間(1596〜1624)には成立していたと考えられる上京の町組・聚楽組に伝わった文書を主とするもの。

ジャカード機  400口 ヴェルドール式
ジャカード機はフランス人ジャカール(1752〜1834)が発明。本機は20世紀初頭に鳥居清三郎等により輸入された,フランス・リヨン製造のもの。

ジャカード機 1300口 ヴェルドール式
フランス人ヴェルドールが発明したもの。(財)西陣織物館蔵のヴェルドール式ジャカードとは口数が異なるものの,製造や製造会社は全く同じ。

ジャカード機 1300口 ヴァンサンジー式
ヴァンサンジー式はそれまでのジャカードに比べ小型で踏足の軽い点に特徴がある。国産のヴァンサンジー式普及以前に輸入されたものの一つ。

しほんちゃくしょくじゅうろくらかんず わたなべしこうひつ
紙本著色十六羅漢図 渡辺始興筆
本図は立本寺の本堂仏壇後壁に描かれる十六羅漢図である。筆者の渡辺始興(1683〜1755)は18世紀前半の京都で活躍した画家。近衛家熙(予楽院)に仕え,禁裏の画事も担当するなど,当時の京都画檀にあって高い地位を占めていた。本図は始興が64歳の時に描いたものであり,始興の基準作として重要である。また,始興が京の寺院に障壁画を描いたことは文献にも記されるが,本図は建造物とともに現存する貴重な例と言える。


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