佐藤継信・忠信塚 ■■旧データ■■

HI040

さとうつぐのぶ・ただのぶのつか
石碑(0007694)石碑周辺(0007697)

 この地には十三重石塔が建ち,佐藤継信・忠信の塚であると伝えられた。佐藤継信(1157?〜85)忠信(1161?〜86)兄弟は,陸奥国信夫荘司の息で藤原秀衡(?〜1187)の郎従であったが,治承4(1180)年源義経(1159〜89)が頼朝(1147〜99)へ参陣の折,秀衡の命により義経に属し行動を共にし平氏と戦った。継信は文治元(1185)年屋島戦で戦死。忠信は,義経が頼朝に背いた後も行を共にしたが別れて京都にいた時,糟屋有季に襲われ自殺した。十三重石塔は,現在京都国立博物館に移され,鎌倉期の建立であると推定されている。この石標は佐藤継信・忠信塚と伝えられる十三重石塔の跡を示すものである。

所在地東山区馬町通東大路東入北側
位置座標北緯34度59分21.4秒/東経135度46分42.3秒(日本測地系)
建立年昭和2年
建立者佐藤政治郎
寸 法高162×幅24×奥行22cm
碑 文
[南]
      継信            正六位
佐藤      之塚         政養之碑
      忠信
[北]
昭和弐年参月   佐藤政治郎   建之
調 査2002年2月20日
備 考

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