平氏六波羅第・六波羅探題府址

HI033

へいしろくはらてい・ろくはらたんだいふあと
石碑(0029019)石碑周辺(0029020)

 六波羅第は平氏がこの地に営んだ邸宅。一帯に一族郎党の邸宅があった。寿永2(1183)年平氏の都落ちで火を放たれ,平氏滅亡後は源頼朝(1147〜99)が接収し京の宿所とした。承久の乱(1221)後,鎌倉幕府は京都守護を廃し,六波羅に南北二所の政庁を設けた。このうち北方が平氏の六波羅第にあたる。六波羅探題の称は南北朝以降のものである。元弘3(1333)年の足利尊氏(1305〜58)の攻撃による焼亡で鎌倉幕府と共に消滅した。この石標は,平氏六波羅第・鎌倉幕府六波羅探題の跡を示すものである。

所在地東山区六原通松原下る西側(六波羅蜜寺内)
位置座標北緯34度59分49.0秒/東経135度46分24.5秒(世界測地系)
建立年1915年
建立者京都市教育会
寸 法高88×幅18×奥行18cm
碑 文
[西]
         平氏六波羅第【以下埋没】
此附近
         六波羅探題府【以下埋没】
[北]
         今出川千本
寄附者         田中【以下埋没「富子」カ】
[東]
大正四年十一月建之   京都市【以下埋没「教育会」カ】
調 査2011年6月10日
備 考この碑は2011年に現在地である六波羅蜜寺に移された/旧データはここ/寄附者田中富子(1852〜1924)は千本今出川交叉点西北の田中政呉服店田中政七夫人/田中新史「京都・大正大礼建碑と祖」『土筆』11号(2014年土筆舎刊)参照/上から約40cmのところに切断痕がある


位置図
位置図

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