法然上人御遺跡青龍寺

HI082

ほうねんしょうにんごいせきせいりゅうじ
石碑石碑周辺

 青龍寺はもとの寺名を大宝寺といい,桓武天皇の命で最澄が伽羅の霊木を彫ったと伝える本尊聖観音像で名高く,伽羅観音の通称で信仰を集めた。洛陽三十三所観音霊場の9番目となる。のち衰退していたところを法然の弟子見仏(大和前司藤原親盛)が再建し,引導寺と改称した。その寺で見仏は,法然の弟子の安楽・住蓮らと共に六時礼讃を修した。六時礼讃は,一昼夜を六分したものを六時といい,それぞれ六時に仏を拝して懺悔すべきことを説いたもので,法然の弟子が六時礼讃の節づけをした。中世には再び荒廃し,寛永年間(1624〜44)知恩院の住職が青龍寺と改めた。境内には鐘の代わりにたたいたという念仏石がある。この石標は青龍寺を示すものである。

所在地東山区八坂上町(青龍寺前)
位置座標北緯34度59分57.3秒/東経135度46分44.7秒(世界測地系)
建立年1978年
建立者
寸 法高131×幅22×奥行21cm
碑 文
[北]
法然上人御遺跡
                        青龍寺
六時礼讃根源之地
[南]
昭和五十三年六月吉日
調 査2002年10月9日
備 考

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