霊山表忠碑

HI143

りょうぜんひょうちゅうのひ
石碑(0028181)石碑周辺(0028182)

 京都霊山護国神社の地には,明治元(1868)年以来,京都府および長州・土佐・福岡・鳥取・熊本・久留米の各藩がそれぞれ招魂社を建て,維新の志士や戊辰戦争戦没者の霊を祀っていた。これらを総称して霊山官祭招魂社と称した。昭和14(1939)年に,東福寺(薩摩藩)・大雲院(佐土原藩)・泉涌寺にあった各官祭招魂社が合祀され,明治以降の戦没者も祭る霊山護国神社になった。この碑は,明治9年に行われた祭祀にあたり,明治天皇からお手元金が下賜されたことを記念し,これらの志士たちの忠義を顕彰するために建立された碑である。

所在地東山区清閑寺霊山町(京都霊山護国神社内)
位置座標北緯34度59分56.5秒/東経135度46分59.4秒(世界測地系)
建立年1878年
建立者(有志)
寸 法高280×幅119×奥行75cm
碑 文
[西]
霊山表忠之碑【篆額】
明治九年京都府下有志之徒博相謀祭憂国尽忠
者於京都霊山歳以為例事達 宸聰賜内帑金若
干於是又建碑知府事槇邨正直具状乞題額乃
勅一品幟仁親王書霊山表忠之碑六大字賜之嗚
乎其所祭皆是伏義不撓致身無悔而翼賛鴻業於
冥冥中者豈得不表章乎今也祀典永修豊碑遠伝
不独為追吊死者亦可以風励天下人心矣乃書以
為記
明治十二年歳在己卯夏六月
 太政大臣従一位勲一等三条実美撰并書
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調 査2010年1月10日
備 考銅鋳碑

位置図
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