井上世外詩碑

HI148

いのうえせいがいしひ
石碑(0029148)石碑周辺(0029148)

 侯爵井上馨(号世外,1835〜1915)が揮毫した元人劉*作七言律詩の対句を表に記し,裏面には建立の経緯を記す。井上と伊藤博文は明治42(1909)年に木戸孝允(1833〜77)の三十三回忌列席のため来京。中井慈眼が伊藤・井上の詩碑を東山に建立することを発意し建設された。伊藤博文の詩碑はこの碑の西方にあり姉妹碑とでもいうべきものである。
 中井慈眼(1851〜1932)は中井三郎兵衛と称し,三条東洞院で紙商を営んだ人物。府会議員・市会議員をつとめ明治京都の実業界で重きをなした。かたわら京都を観光都市として発展させるために東山の開発に尽力した。中井は近くの将軍塚の大日堂を明治41年に建立し,この碑一帯の整備にも意を注いだ。

所在地東山区粟田口高台寺山町
位置座標北緯34度59分55.4秒/東経135度47分18.2秒(世界測地系)
建立年1911年
建立者中井慈眼(中井三郎兵衛)
寸 法高370×幅160×奥行28cm
碑 文
[西南]
山水増光   (印)(印)【印文「邦彦王章」「泰山」】【以上篆額】
天懸海外三千界
月満人間幾百州
      侯爵井上世外   (印)(印)【印文「侯爵」「井上馨之印」】
[東北]
碑陰記
碑面所勒世外井上侯句也建碑者中井慈眼翁也蓋
桓武帝奠都之地山水明媚美甲于寰宇翁欲以為一
大公園経営名区尽瘁不措今茲侯與春畝公来祭木
戸公乃有此作翁於是卜地勒碑以培風致欲深富国
之源其志美矣余惟園囿以招遠人不問雉兎芻蕘則
文王之仁必達遐陬厥美更無窮極耳乃為記之
明治四十三年八月   浪華南岳藤澤恒撰文
                              伊勢錦山矢土勝之書
            設計監督   安田時秀               肝煎   辻坂楢吉
            鐫刻         芳村茂右ヱ門         運搬   松山米吉
碑文の大意ここをクリック
調 査2010年6月11日
備 考旧データでは「天懸海外…」の14字は井上自作の詩の一部と解説したがこれは誤りで元人劉*の「十五夜再和二首」より/篆額は久邇宮邦彦王書だがその旨の記載はない/建碑に関連する文書に国立国会図書館憲政資料室井上馨関係文書の「東山国有林中建碑願 中井三郎兵衛」(712-14)がある/建立年は中井三郎兵衛伝『かたばみ草』(1934年刊)による


碑文中「*」字


位置図
位置図

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