明治維新伏見の戦跡

HU007

めいじいしんふしみのせんせき
石碑(0005885)石碑周辺(0005893)

 大政奉還の後,大坂城に待機した徳川慶喜(1837〜1913)は反撃ため上洛を決意し,慶応4(1868)年正月3日,鳥羽と伏見の二方向に分かれてに京都に進軍した。伏見の守備は薩摩藩将兵800人がこの地御香宮を中心に固め,幕府軍は会津藩を主とした1500人が伏見奉行所等に入り対峙した。この石標は,翌年まで続く戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の跡を示すものである。

所在地伏見区御香宮門前町(御香宮内)
位置座標北緯34度56分03.3秒/東経135度46分03.2秒(世界測地系)
建立年1968年(カ)
建立者御祭神壱千七百年祭奉賛会
寸 法高140×幅78×奥行45cm
碑 文
[南]
明治維新
伏見の戦跡
   内閣総理大臣佐藤栄作書
[北]
明治百年記念
奉納   御祭神壱千七百年祭奉賛会
調 査2002年2月12日
備 考

位置図
位置図

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