寺田屋

HU040

てらだや
石碑(0005791)石碑周辺(0005794)

 寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日,薩摩藩急進派有馬新七(1825〜62)以下35名が関白九条尚忠(1798〜1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり,有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1836〜67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが,難を逃れた。この石標は,度々維新史の舞台となった寺田屋を示すものである。寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し,現在の建物はその後再建したものである。

所在地伏見区南浜町
位置座標北緯34度55分48.9秒/東経135度45分34.8秒(世界測地系)
建立年1961年
建立者安達清
寸 法高178×幅23×奥行23cm
碑 文
[南]
史蹟 寺田屋
[東]
薩藩九烈士殉難の趾
[西]
坂本龍馬先生遭難の趾
[北]
昭和三十六年百年祭記念 第十四代当主安達清之建
調 査2002年2月12日
備 考寺田屋再建関係調査報告書はここ

位置図
位置図

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