応仁永正戦跡舟岡山

KI004

おうにんえいしょうせんせきふなおかやま
石碑(0007679)石碑周辺(0007682)

 舟岡山は,丹波からの街道が長坂を通り洛中に入る所にあるためしばしば戦場となった。応仁の乱(1467〜77)では西軍が城砦を築き,応仁2(1468)年に城砦にいた一色義直・山名教之らを東軍の細川勝元(1430〜73)が能成寺口・安居院口・紫野の三方より攻め落とした。永正8(1511)年細川澄元(1489〜1520)が城を築き,丹波から入京しようとした足利義尹・細川高国・大内義興らの軍を迎え撃ったが,城は落とされ澄元は摂津に敗走した。この石標は,応仁・永正戦の地である舟岡山を示すものである。国指定史跡「船岡山」(昭和43年指定)のうち。

所在地北区紫野北舟岡町(船岡山公園内京都市北青少年活動センター前)
位置座標北緯35度02分24.7秒/東経135度44分30.2秒(世界測地系)
建立年1970年
建立者京都市
寸 法高108×幅18×奥行17cm
碑 文
[南]
応仁永正戦跡   舟岡山
[西]
昭和四十五年三月   京都市
調 査2002年2月19日
備 考京都市北青少年活動センターは2002年9月に北区総合庁舎内へ移転

位置図
位置図

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