横井小楠殉節地

NA038

よこいしょうなんじゅんせつのち
石碑(0004760)石碑周辺(0004764)

 横井小楠(1809〜69)は,熊本藩出身で江戸で朱子学を学んだが,安政の頃には開国論者となった。藩政改革に失敗するが福井藩に招かれ改革を指導した。藩主松平春嶽(1828〜90)が政治総裁職につくとこれを助けて公武合体運動を推進した。失脚後帰国したが,新政府の参与として出仕した。明治2(1869)年正月5日,御所参賀の帰途この地で暗殺された。この石標は横井小楠が襲撃された地を示すものである。
 なお南面に「昭和七年七月再建之」と記すことについては『京都市教育会沿革略』(1932年同会刊)には大正5年の事業として「横井小楠邸址(寺町丸太町下る)」ほかの「史蹟保存石標」を建立したと記す。これに従えば本石標は大正5年建立の石標が損壊し,昭和7年に新しく再建されたものである。

所在地中京区寺町丸太町下る東側
位置座標北緯35度01分01.3秒/東経135度46分01.8秒(世界測地系)
建立年1932年
建立者京都市教育会
寸 法高120×幅19×奥行19cm
碑 文
[東]
横井小楠殉節地
[南]
                              下村大丸寄附
昭和七年七月再建之
[西]
横井小楠殉節地
[北]
               寄附者   横川松之助
                           大澤徳太郎
      京都市教育会   山本臨乗
                           上田ソノ
調 査2002年2月4日
備 考

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