手島堵庵五楽舎址

NA069

てじまとあんごらくしゃあと
石碑(0004995)石碑周辺(0004957)

 手島堵庵(1718〜86)は,石田梅岩直門の最年少だったが,師や兄弟子の没後,門下の組織的改革や教化法の改善を進め,講舎五楽舎を開設して石門心学の普及に努めた。長男手島和庵(1747〜91)が五楽舎を受け継いた。この石標は手島堵庵の五楽舎の跡を示すものである。

所在地中京区富小路通六角上る西側
位置座標北緯35度00分28.0秒/東経135度45分53.2秒(世界測地系)
建立年1917年
建立者京都市教育会
寸 法高110×幅18×奥行18cm
碑 文
[東]
手島堵庵五楽舎址
[南]
大正六年三月建之   京都市教育会
調 査2002年2月7日
備 考

上へ

[HOME]