山脇東洋観臓地

NA098

やまわきとうようかんぞうのち
石碑(0010062)石碑周辺(0005321)

 山脇東洋(1705〜62)は,山脇玄修(1654〜1727)に医学を学び,その養子となった。この地にあった六角牢獄で宝暦4(1754)年,男の刑死人の解剖を行い,実地について人体構造を観察した。著書にこの時の解剖記録『臓志』がある。その解剖は,杉田玄白(1733〜1817)の『解体新書』を遡ること17年前のことであった。この石標は,山脇東洋が日本で最初の解剖を行った六角牢獄の跡を示すものである。

所在地中京区六角通神泉苑西入南側
位置座標北緯35度00分26.6秒/東経135度44分47.9秒(世界測地系)
建立年1976年
建立者日本医師会他(山脇東洋顕彰会)
寸 法高76×幅137×奥行31cm
碑 文
[西]
      日本近代医学のあけぼの
山脇東洋観臓之地
      1754・宝暦四年閏二月七日
[西下段]
近代医学のあけぼの   観臓の記念に
一七五四年宝暦四年閏二月七日に
山脇東洋(名は尚徳一七〇五−一七六二)は
所司代の官許をえてこの地で日本
最初の人体解屍観臓をおこなった
江戸の杉田玄白らの観臓に先立つこと
十七年前であった
この記録は五年後に「臓志」としてまと
められた
これが実証的な科学精神を医学にとり
入れた成果のはじめで日本の近代医学
がこれからめばえるきっかけとなった
東洋のこの偉業をたたえるとともに
観臓された屈嘉の霊をなぐさめるため
ここに碑をたてて記念とする
   一九七六年三月
                              日本医師会
                           日本医史学会
                           日本解剖学会
                           京都府医師会
調 査2002年2月5日
備 考日本近代医学発祥地(NA096)平野国臣外数十名終焉趾(NA097)と並び立つ

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