神泉苑東端線

NA117

しんせんえんとうたんせん
石碑(0010061)石碑周辺(0010058)

 神泉苑は,平安京造営の際の禁苑。延暦19(800)年,桓武天皇(737〜806)の行幸記事が初見。当時は二条・三条大路間の南北4町,大宮・壬生大路間の東西2町を占めた。歴代天皇が行幸したが,貞観5(863)年御霊会が催されるなど祈雨の霊場として使われた。中世以後荒廃。平成2〜5年にかけて実施された地下鉄東西線建設に伴う発掘調査により,平安京造営当時の神泉苑の東西幅が確認された。この石標は神泉苑域の東端を示すものである。
   なお神泉苑は現在,放生池の中島に美女龍王を祀り,寺院となっている。苑地部分は昭和10年に史蹟名勝天然紀念物保存法による史蹟に指定され,現在は「神泉苑」として国指定史跡。

所在地中京区押小路通大宮交叉点北側
位置座標北緯35度00分43.6秒/東経135度44分55.6秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高150×幅25×奥行25cm
碑 文
[南]
平安京跡   神泉苑   東端線
[東]
   平成二年から同五年にかけて実施された地下鉄
東西線建設に伴う発掘調査により、平安京造営当
時の神泉苑の東西幅が確認されました。当該地は
その東端線に当たります。
調 査2002年5月14日
備 考神泉苑西端線(NA151)あり

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