本能寺跡

NA149

ほんのうじあと
石碑(0027530)石碑周辺(0057538)

 本能寺は,法華宗本門流の本山で応永22(1415)年妙本寺(現在の妙顕寺)の日隆が創建した。創建時は油小路高辻にあって本応寺と号した。永享5(1433)年四条坊門大宮に移り,本能寺と改めた。天正10(1582)年6月2日の本能寺の変の時には,北は六角,南は蛸薬師,東は西洞院,西は油小路に囲まれた寺域を持っていた。のち豊臣秀吉(1536〜98)の命により寺町御池に移転した。この石標は本能寺の変当時の所在地を示すものである。なお,この附近を元本能寺南町というのは,本能寺に因むものである。

所在地中京区油小路通蛸薬師下る東側(本能特別養護老人ホーム前)
位置座標北緯35度00分09.8秒/東経135度45分23.5秒(日本測地系)
建立年平成6年
建立者
寸 法高138×幅152×奥行41cm
碑 文
[西]
寺跡
         本寺跡記
応永二十二年(一四一五)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を
弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して
「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享元年(一四二九)
小袖屋宗句の外護により町端に再建、次いで永享五年(一四三三)
如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て移転再建、
本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。その後、
天文五年(一五三六)天文法乱によって焼失。天文十四年(一五四五)
第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院の此の地に
移転、壮大な堂宇の再興を見た。然るに天正十年(一五八二)
彼の「本能寺の変」によって織田信長とともに炎上、天正十七年
(一五八九)この地に再建せんとし、上棟式の当日、豊臣秀吉より
鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜらる。一山の大衆声を
放って号涙すと、因みに本能寺は度々火災に罹りたるをもって
「ヒヒ」と重なるを忌み、能の字を特に「」と書くのが慣しである。
                                                            大本山 本
[東]
   平成六年四月建之
宗祖日蓮大聖人開宗七百五十年記念
                大本山本寺第百三十六世日攝代
調 査2007年3月22日
備 考

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