梅田雲浜先生旧蹟

SA007

うめだうんぴんせんせいきゅうせき
石碑(0006606)石碑周辺(0006610)

 梅田雲浜(1815〜59)は若狭小浜藩士。崎門学を学んで大津に湖南塾をひらき,京都の望楠軒の講主に迎えられた。海防策の意見書が藩政批判とみなされ浪人となる。困窮のなか,一乗寺葉山観音堂の堂守小屋に住み,ペリーやプチャーチン来航時には,江戸・水戸・大坂に自ら赴き,尊皇攘夷を唱えた。のち,一橋慶喜(1837〜1913)を擁立して勅許反対を推進し,安政の大獄(1858)で捕えられ獄死した。この石標は一乗寺の寓居跡を示すものである。

所在地左京区一乗寺葉山町(葉山観音内)
位置座標北緯35度02分46.3秒/東経135度47分52.1秒(世界測地系)
建立年1923年
建立者
寸 法高136×幅60×奥行13cm
碑 文
[西]
梅田雲浜先生旧蹟
[東]
雲浜翁嘉永三年葉山ニ寓シ勤王諸同志ト
国事ヲ議シ或ハ四明山下一閑人石川丈山
ヲ追慕シテ閑ニ風月ヲ弄セリ長岡監物ノ
臣某ガ来テ浅見絅斎ノ赤心報国刀ヲ求メ
山縣元師ガ謁シテ教ヲ請ヒ翁ノ夫人信子
ガ「拾ふ木葉」ノ名歌ヲ作リシモ皆此時ナリ
キ故ニ今有志相謀テ記念碑ヲ建ツ
   大正十二年十一月廿三日惺軒撰并書
[東面下段]
         山口長太郎
発      西沢嘉三郎
起      山本丈之助
人      高橋尚蔵
         高瀬武次郎
            「京都」若州人会   【「   」内双行】
調 査2002年2月13日
備 考

位置図
位置図

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