此奥俊寛山荘地

SA024

このおくしゅんかんさんそうち
石碑(0007181)石碑周辺(0007185)

 後白河上皇(1127〜92)側近の僧である法勝寺執行俊寛(生没年未詳)は,治承元(1177)年6月,自らの山荘で平氏打倒の密議を行い,その首謀として薩摩国鬼界島(現鹿児島県硫黄島)に流された。この石標は,世にいう鹿ヶ谷の謀議が行われた山荘跡地を示すものである。

所在地左京区鹿ヶ谷桜谷町(霊鑑寺南)
位置座標北緯35度01分13.0秒/東経135度47分43.9秒(世界測地系)
建立年1939年
建立者京都市教育会
寸 法高119×幅18×奥行18cm
碑 文
[西]
此奥俊寛山荘地
[北]
昭和十四年三月建之   京都市教育会
調 査2002年2月21日
備 考

位置図
位置図

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