梁川星巌邸址

SA033

やながわせいがんていあと
石碑(0029034)石碑周辺(0029035)

 漢詩人梁川星巌(1789〜1858)は,美濃大垣の郷士の家に生まれたが,家督を弟に譲り江戸に学び,帰郷して私塾を営んだ。妻の詩人紅蘭(1804〜79)と西遊。再度江戸に上り玉池吟社を開き,詩壇の中心的存在となる。また藤田東湖(1806〜55),佐久間象山(1811〜64)らと親交を深めた。のち上洛して,勤王の志士らと接触。安政の大獄で捕えられる直前,コレラに罹り病死した。この石標は梁川星巌の邸宅跡を示すものである。

所在地左京区川端通丸太町上る東側
位置座標北緯35度01分06.9秒/東経135度46分20.8秒(世界測地系)
建立年1916年
建立者京都市教育会
寸 法高119×幅19×奥行19cm
碑 文
[西]
梁川星巌邸址
[北]
大正五年五月建之   京都市教育会
調 査2011年12月9日
備 考2006年に建築工事のためいったん撤去されたが,2011年ほぼ旧位置に建てなおされた/一時撤去前のデータはここ

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