阿弥陀経石碑

SA222

あみだきょうせきのひ
石碑(0027758)石碑周辺(0027759)

 この碑は,宗像大社(福岡県)にある阿弥陀経石(重要文化財)を,正徳4(1714)年に模刻したもので,原碑とほとんど同じ形状・大きさである。同様の模刻碑は,京都市内では正林寺(東山区)にも延享3(1746)年に建てられ現存する。
 宗像大社にある原碑は,平重盛が宋へ砂金を送り,その返礼として重盛没後の建久9(1198)年に日本へ送られ,宗像大社へ届いた。しかし平氏滅亡のあとだったので京都へ送ることなく,宗像大社近くに安置され,寛文2(1662)年に神社へ移されたという。この阿弥陀経石には,襄陽龍興寺の石刻阿弥陀経に基づく本文が刻され,日本に伝わっていた阿弥陀経と比べ21字多く,とくに珍重された。
 宗像大社および京都の阿弥陀経石の来歴については,望月信亨編『仏教大辞典』(1933年同辞典発行所刊)の「石刻阿弥陀経」項,および景山春樹「宗像と京の阿弥陀経石」『史迹と美術』378号(1967年)に詳しい。また『都名所図会』巻3には現在と同じ位置に露天の同碑を描き,「堂前の石碑は建久年中に小松内府重盛宋朝へ黄金を渡さる、其志を感じて襄陽の龍興寺より石刻の阿弥陀経を賜わる」と記す。

所在地左京区田中門前町(知恩寺内)
位置座標北緯35度01分45.7秒/東経135度46分50.6秒(世界測地系)
建立年正徳4年
建立者知恩寺然誉
寸 法高160×幅80cm(以上目測)
碑 文
[東]
【上段に無量寿経第十八・第十九・第二十の願文,中段に南無阿弥陀仏の名号を陰刻し,下段に定印阿弥陀座像を陽刻する】
[西]
【襄陽石刻を底本とした阿弥陀経全文および無量寿仏説往生浄土呪を15字×33行×4段に刻す】
[南]
選択集所引襄陽龍興寺石刻阿弥陀経者隋陳仁稜所書也治承年中依小松内大臣」
平重盛公請薨後建久之間自宋朝渡送在筑前州宗像郡田島第一宮之内又見■■ 【元照】」
疏戒■記矣当山第二世源智上人勢観房重盛公孫備中守平師盛子為円光大師高 【度】」
弟也又什物唐書阿弥陀経有専持名号等二十一字與襄陽経正相符合以有■因縁 【彼】」
今復勒石建大日本国山城州愛宕郡平安城東長徳山功徳院知恩寺釈迦堂前矣」
正徳四甲午年夏五月二十五日  百万遍四十三世常蓮社然誉■■■■    【直倒在住】」
[北]
知恩寺然誉大和尚求模写襄陽石刻阿弥陀経随喜結縁於楽邦故■■■書 【盥漱薫】」
応其悃請矣」
正徳第四甲午夏五月  東大寺別当兼華厳宗長吏前大僧正道恕
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備 考碑文の■は摩滅して読めない文字で,解説に記す景山論文に従い【 】に補足した
位置図
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