阿弥陀経石碑 碑文の大意
 『選択集』に引用する襄陽龍興寺の石刻阿弥陀経とは,隋の陳仁稜の書いたものである。治承年間に小松内大臣重盛公の依頼で宋から贈られたが,重盛公は既に死去していたので筑前国宗像郡の宗像大社に安置された。
 当知恩寺第二世源智上人は重盛公の孫,平師盛の子である。また円光大師(法然)の高弟だった。什物の唐から渡来した阿弥陀経は普通に行われる阿弥陀経より21字多いもので,宋から渡来した石刻阿弥陀経と合致する。
 これらの因縁により今また阿弥陀経石刻碑を大日本山城国愛宕郡平安城の東,長徳山功徳院知恩寺釈迦堂前に建てるものである。