古高俊太郎邸址

SI005

ふるたかしゅんたろうていあと
石碑(0005623)石碑周辺(0005626)

 古高俊太郎(1829〜1864)は近江国出身の尊皇攘夷派の志士。湯浅喜右衛門と称し,京都で薪炭商を営み志士らを援助していたが,元治元(1864)年6月5日,新選組に捕えられた。これが池田屋騒動の契機となった。この石標は彼の邸宅跡を示すものである。なお,各種事典では名字を「こたか」と読むものが多い。

所在地下京区河原町通四条上る一筋目東入南側
位置座標北緯35度00分14.2秒/東経135度46分11.3秒(世界測地系)
建立年1928年
建立者京都市教育会
寸 法高114×幅18×奥行18cm
碑 文
[北]
勤王
      古高俊太郎邸址
志士
[東]
京都市教育会
[南]
【未確認】
[西]
昭和三年四月
調 査2002年2月5日
備 考

上へ

[HOME]