長州藩士久坂玄瑞の密議の角屋

SI020

ちょうしゅうはんしくさかげんずいのみつぎのすみや
石碑(0006158)石碑周辺(0006152)

 角屋は旧島原の揚屋の一つ。長州藩士久坂玄瑞(1840〜64)は江戸遊学を終えて上洛すると,尊皇攘夷の急進派として朝廷工作など様々な運動を行った。この石標は,玄瑞が尊皇攘夷運動の密議を重ねた角屋を示すものである。

所在地下京区西新屋敷揚屋町(角屋前)
位置座標北緯34度59分32.9秒/東経135度44分35.9秒(世界測地系)
建立年1984年
建立者中川徳右衛門(角屋当主)
寸 法高143×幅20×奥行20cm
碑 文
[東]
長州藩
           久坂玄瑞の密議の角屋
   志士
[南]
  久坂玄瑞は吉田松陰の義弟   松陰刑死後    塾徒を率い   尊攘に挺身
文久政変に山口へ七卿落ちを斡旋するも    元治元甲子年七月   蛤御門の
変に遭い    壮烈な死を遂げた    享年二十五     角屋は玄瑞が屡々暗殺
の難を避け    潜行密議した場所である
[西]
大正四年十一月建之   京都市教育会
[北]
昭和五十九甲子年七月再建
   表題揮毫      京都府知事林田悠紀夫書

調 査2002年2月13日
備 考碑文によれば大正4年に京都市教育会が建立した原碑を再建したように見えるが,維新を語る会会報『鴨の流れ』11号(1988)に掲載する「教育会石碑について 寺井先生と島原角屋当主の対談より」などを参照して,1984年まったくあらたに建立したものだと判断した

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