長曽我部盛親公埋首地

SI039

ちょうそかべもりちかこうまいしゅのち
石碑石碑周辺

 長曽我部盛親(1575〜1615)は土佐の戦国大名で,関ヶ原の戦後は京都に隠棲した。大坂の陣で豊臣方に付き敗走し,山城八幡付近で潜んでいるところを捕えられ,元和元(1615)年5月,京都所司代板倉勝重(1545〜1624)の命により斬首された。この石標は盛親の埋首地を示すものである。

所在地下京区富小路通五条下る(蓮光寺前)
位置座標北緯34度59分40.0秒/東経135度45分49.8秒(世界測地系)
建立年1907年
建立者
寸 法高206×幅27×奥行26cm
碑 文
[東]
明治四十年五月   有志者建之
[西]
長曽我部盛親公*首之地
調 査2002年2月25日
備 考


碑文中「*」字

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