医祖神碣

SI062

いそしんのけつ
石碑(0027815)石碑周辺(0027816)

 五条天神社は社伝によれば,平安遷都の時に大和国から天神を勧請した時に始まるという。祭神は大己貴命・少彦名命・天照大神で,菅原道真を祀る北野天満宮ほかの天神社とは本来由来が異なる。祭神のうち,少彦名命(すくなびこなのみこと)は医薬の祖先とされ,中国で言う神農に相当する神として崇拝された。この碑は薬の祖である少彦名命を讃えた銘文(四字一句の韻文)を刻んだものである。
 原碑は明和6(1769)年に建立されたが,近年倒壊し,いま境内に建つ碑は再建されたものである。再建の際に崩壊した原碑の文字をなぞったため奇怪な字体をまじえ,読みとれない箇所は空白にした。幸いに大阪市中央区の少彦名神社(神農さん)には原碑の碑文を写し取った碑がある。下記の碑文は少彦名神社の碑に従うが,五条天神社の碑と異同はない。空白だった箇所は,いまでは逆に少彦名神社の碑に従い文字が彫られている。

所在地下京区西洞院通松原下る西側(五条天神社内)
位置座標北緯34度59分54.6秒/東経135度45分17.3秒(世界測地系)
建立年(原碑明和6年)
建立者
寸 法高174×幅71×奥行18cm
碑 文
[東]
医祖神之碣【篆額】
艸盧龍公美銘曰猗與懿矣少彦
之神偕介大汝妥国安民医薬茲
肇起死回春沢洽天下孰若厥仁
年紀万億功徳日新明和己丑孟
夏藤原玄之篆平信好書
碑文の大意ここをクリック
調 査2008年3月17日
備 考解説にいう「奇怪な字体」の例はここ(2002年6月採拓)

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