養和(ようわ)の大飢饉(だいききん)
養和元(1181)年から翌年にかけて,天災が続きました。春と夏に日照りが続き,秋には大風・洪水にみまわれ,収穫がほとんどありませんでした。これを養和の大飢饉と呼びます。
平安京では,餓死した人々の多くは路上に放棄されていました。長明は当時の様子を次のように記しています。
築地のつら,道のほとりに,飢ゑ死ぬるもののたぐひ,数も知らず。取り捨つるわざも知らねば,くさき香世界に満ち満ちて,変わりゆくかたち有様,目もあてられぬ事多かり。
こうしたなか,仁和寺の僧隆暁(りゅうぎょう)は,路上に横たわる死者を供養しました。その数は,わずか2か月間に平安京内だけで4万2300余に上ったと伝えられます。
被害が深刻だったため,兵糧米の調達が困難になり,源平の戦いも膠着状態におちいるほどでした。
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