伊東甲子太郎外数名殉難跡

SI035

いとうかしたろうほかすうめいじゅんなんのあと
石碑(0006711)石碑周辺(0006717)

 伊東甲子太郎(1835〜67)は常陸国出身の新選組隊士。近藤勇(1834〜68)とともに新選組を結成したが,内部対立により孝明天皇山御陵衛士と称する別組織をつくった。しかし,慶応3(1867)年11月18日この地で新選組に襲撃され,駆け付けた同志3名と共に倒れた。この石標は伊東らの終焉地を示すものである。

所在地下京区油小路通木津屋橋上る東側(本光寺前)
位置座標北緯34度59分16.5秒/東経135度45分13.4秒(世界測地系)
建立年1971年
建立者京都市
寸 法高149×幅20×奥行20cm
碑 文
[西]
伊東甲子太郎外数名殉難之跡
[東]
本光寺
[南]
安寧自治連合会
油小路町
[北]
昭和四十六年十一月   京都市
調 査2002年2月12日
備 考

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