今様の伝え手─遊女(あそびめ)・傀儡女(くぐつめ)・白拍子(しらびょうし)
口伝集によれば,後白河法皇が特に今様の師と仰いだのは乙前という遊女でした。法皇は乙前と師弟の契りを結んで御所に住まわせ,彼女が知る限りの歌の伝受につとめました。
さらに乙前だけでなく,「上達部(かんだちめ)・殿上人(でんじょうびと)は言はず,京の男女,諸所の端者(はしたもの)・雑仕(ぞうし),江口・神崎の遊女,国々の傀儡子(くぐつ),上手は言はず,今様を謡ふ者の,聞き及び我が付けて謡はぬ者は少なくやあらむ」とあるように,後白河法皇はあらゆる人々から今様の伝え手を求め,側について習いました。
特に,ここにも見える遊女や傀儡子は,今様の伝播や伝承の担い手として重要な役割を果たしていた人々でした。
江口(大阪市東淀川区)・神崎(兵庫県尼崎市)は,淀川・神崎川沿いにあった船の停泊地で,ともに交通の要衝として人の往来が多く,彼らを客とする遊女が多く住んでいたところでした。
また傀儡子は,人形使いや曲芸を生業とする人々です。女性の傀儡女は遊女でもあり,口伝集では「美乃(美濃)の傀儡子」「墨俣(すのまた)・青墓(あおばか)の君(遊女)」などと書かれています。墨俣(岐阜県安八郡墨俣町)は美濃・尾張の境で木曽・長良・揖斐三川の合流点にあたり,青墓(岐阜県大垣市青墓町)も同じく美濃国にあった東海道の宿駅です。
こうした遊女や傀儡女は,職業柄,交通の要衝に本拠を置いて,芸能に携わり今様の謡い手となっていました。それが京都にも伝えられて宮廷で流行を呼び,やがて後白河法皇によって集大成されることになったわけです。
このほか,院政時代の宮廷では白拍子という女性達も今様の謡い手となっていました。本来,白拍子とは拍子のとり方を意味しましたが,やがて歌舞の名称となり,さらにそれを男装して舞う遊女の呼び名となったものです。特に『平家物語』に登場する祇王(ぎおう)・祇女(ぎじょ)や仏御前(ほとけごぜん),また源義経(1159〜89)に寵愛された静御前(しずかごぜん)らがよく知られています。
|