京都の博覧会
都市史29

きょうとのはくらんかい
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京都と博覧会

京都御苑内の常設博覧会場図
 京都では日本最初の博覧会が,明治4(1871)年西本願寺で行われました。これを機に,京都府と民間によって創設された京都博覧会社は,明治5年,西本願寺・建仁寺・知恩院を会場として第一回京都博覧会を開催。外国人観光客もたくさん訪れました。

 京都博覧会社(のち京都博覧協会と改称)主催の京都博覧会は,昭和3(1928)年まで,ほぼ毎年開催されています。

 第二回〜九回の会場は大宮御所・仙洞御所(せんとうごしょ,いずれも現京都御苑<きょうとぎょえん>内)でしたが,明治14(1881)年の第十回から,京都御苑内東南の一角に建設された常設の博覧会場が使われました。明治30(1897)年には岡崎(現左京区)に博覧会館が建設され,大正3(1914)年以降は岡崎の京都市勧業館が会場となりました。

内国勧業博覧会って何?

 19世紀,工業化した国々で万国博覧会(ばんこくはくらんかい)が開催されました。当時の万国博覧会は,国際見本市という性格が強かったので,明治政府は産業の奨励と国民の啓蒙政策の一環として,万国博覧会へ積極的に出品するとともに,国内における勧業博覧会の開催に力を注ぎました。

 明治10(1877)年には第一回内国勧業博覧会が東京上野公園で開催されました。臥雲辰致(がうんたっち)が発明した紡績機(ガラ紡績)の展示をはじめ,出品点数は8万4352点。8月21日から11月30日までの会期中に45万人余りの入場者を記録しました。

 内国勧業博覧会は5回開催されましたが,そのうち第一回から第三回までは東京上野が会場。第四回は京都岡崎,第五回は大阪天王寺の会場で開催されました。

第四回内国勧業博覧会
第四回内国勧業博覧会場図

  強い誘致運動の結果,平安遷都千百年紀念祭にあわせて,明治28(1895)年の第四回内国勧業博覧会の開催地が京都に決定しました。

 会場の岡崎は,当時,水田と蕪菁(かぶら)畑が広がる所でした。その地に,工業館,農林館,器械館,水産館,美術館,動物館や各府県の売店,飲食店などが建てられました。出品点数16万9000点,入場者は4月1日から4か月の会期中113万人をこえる盛況でした。

 開催にあわせて,京都電気鉄道会社が開業し,日本最初の市街電車が走りました。2月1日には七条停車場(京都駅)と伏見油掛間が開業。4月1日には七条停車場から博覧会場を経て,疏水ほとりの南禅寺船溜りを結ぶ約7キロメートルが開業。この区間を時速10キロメートルで走り,博覧会場への足となりました。

 博覧会開催は京都の経済・文化の復興と再生に大きな役割を果たしたのです。

大正・昭和の博覧会
大礼記念京都大博覧会岡崎会場

 第四回内国勧業博覧会以降,明治・大正・昭和を通して京都における,大規模な博覧会は次の3つがあげられます。

 大正4(1915)年11月の大正天皇即位大礼を記念して,同年10月1日から12月19日の80日間,岡崎公園を中心に,大典記念京都博覧会が催されました。主な内容は,京都の生産品展観と文部省主催の美術展覧会でした。財政難や住民の不評などにより計画の変更を余儀なくされ,勧業博に比べて規模は縮小しましたが,入場者は86万人にのぼりました。

 大正13(1924)年には,東宮殿下(昭和天皇)御成婚奉祝万国博覧会参加50年記念博覧会が岡崎公園で開かれました。これは明治6(1873)年,日本が初めてオーストリアのウィーン万国博覧会に出品して50年を記念する博覧会で,同時に皇太子ご成婚を祝したものです。入場者数は約122万人。

 昭和3(1928)年には昭和天皇即位大礼を祝して大礼記念京都大博覧会が開催されました。従来の岡崎公園に加え,二条城北の京都刑務所跡地,および恩賜京都博物館の3か所が会場にあてられました。入場者数は約318万人。

 工業化と勧業政策の目的が一応の到達を見たことから,大正末頃をピークに博覧会への熱は全国的に衰退していきました。

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岡崎公園(おかざきこうえん) 左京区岡崎成勝寺町・最勝寺町・円勝寺町

 岡崎公園は,第四回内国勧業博覧会会場跡地に明治37(1904)年開設された京都市営公園です。面積は10万3101平方メートル。平安遷都千百年紀念祭で創建された平安神宮に隣接して造営されました。

 現在までこの一帯には京都市動物園,京都市美術館,京都会館,京都市勧業館(みやこめっせ),野球場,京都国立近代美術館,京都府立図書館などが建てられ,文化地区として整備されました。現在も市民の文化施設,岡崎文化ゾーンとして利用されています。

京都御苑(きょうとぎょえん) 上京区京都御苑

 京都御苑は京都御所の外苑で,明治2(1869)年の東京遷都後,宮家や公家の邸宅を取りこわした跡地を整備して誕生しました。明治10(1877)年から11年にかけて,周囲に石塁を築き,空地に樹木や芝生が植えられ,現在の国民公園京都御苑の景観がほぼ整いました。

 御苑の東南部(現グラウンド富小路広場,テニスコート一帯)の約1万6000坪の地に,お雇い外国人ワグネルの設計による常設の博覧会場が開設されました。明治14(1881)年の第十回京都博覧会から,岡崎に会場が移された同30年までの間,この会場が利用されました。

みやこめっせ(京都市勧業館) 左京区岡崎成勝寺町
みやこめっせの博覧会記念碑

 平安神宮の東隣りにあった第四回内国勧業博覧会の美術館の建物を,明治44(1911)年,現京都市美術館の敷地に移転したものが,第一勧業館です。

 大正2(1913)年,現勧業館の地に第二勧業館北館が,同四年に南館が建設されました。第一勧業館は,大礼記念京都美術館建設のため,昭和6(1931)年に撤去。第二勧業館は,室戸台風で同9年に倒壊しました。その後,同12年に市民の協力を得て,京都市勧業館が再建されました。

 のち改築され,平安建都一二〇〇年記念事業の一環として,平成8(1996)年,京都市勧業館「みやこめっせ」が開館しました。

 現在,みやこめっせ構内の府立図書館に隣接する植込内には,明治13(1880)年,京都御苑内東南隅に設置された常設博覧会場を記念する石碑が建てられています。この石碑は,もとは京都御苑内の常設博覧会場に建てられましたが,のち勧業館内へ移されました。

祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう) 東山区祇園町南側

 京都の春を彩る都をどりは,京舞三世井上八千代(1838〜1939)が伊勢音頭の総踊りをとりいれて振り付け,京都府参事槇村正直(まきむらまさなお)が作詞したと伝える舞芸妓による舞踊会。

 明治5(1872)年,第一回京都博覧会の附博覧(つけはくらん),すなわち博覧会の余興として催された「鴨東花街ノ歌舞」にはじまります。祇園新地橋東入南側の貸席松の屋を会場として,博覧会開催期間中,70日間にわたって祇園芸妓による興行が続きました。

 大変人気が高く,以後の博覧会の呼び物として毎回続けるとともに,毎年桜の時期,4月1日から30日まで興行することとなりました。2回目以降は常設会場として,祇園甲部歌舞練場が四条花見小路下る西側の成住院跡(じょうじゅういんあと)に建てられました。昭和10(1935)年現在地に移転。都をどりのほか,温習会や邦楽・邦舞の発表会の場として利用されています。また,観光コースに組み入れられ,舞妓さんの京舞なども行われています。


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