後藤象二郎寓居址

NA010

ごとうしょうじろうぐうきょあと

 土佐藩出身の後藤象二郎(1838〜97)は,藩政の中心を担い,藩主山内容堂(1827〜72)の信任を得た。慶応3(1867)年家老となり,坂本龍馬(1836〜67)に啓発され大政奉還を建白させた。維新後,参与・参議となり新政府の要職についた。後藤が京都滞在中投宿した壺屋の跡に石標が建てられたが,現在確認できない。

所在地所在不明(中京区河原町通三条下る二筋目東入南側カ)
位置座標
建立年1928年
建立者京都市教育会
寸 法
碑 文
[北カ]
後藤象次【ママ】郎寓居之址
[西カ]
昭和三年八月
[南カ]
【不明】
[東カ]
【不明】
調 査2002年2月4日
備 考建立者・碑文等は京都市役所編『京都名勝誌』(1928年京都市刊)等による/京都市教育会編『京都維新史蹟』(1928年同会刊)に載せる碑の写真はここ/大政奉還150年を記念して,2017年に同趣旨のいしぶみ後藤象二郎寓居之跡が新たに建てられた

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