日本近代医学発祥地

NA096

にほんきんだいいがくはっしょうのち
石碑(0005313)石碑周辺(0005316)

 山脇東洋(1705〜62)は,山脇玄修(1654〜1727)に医学を学び,その養子となった。この地にあった六角牢獄で宝暦4(1754)年,男の刑死人の解剖を行い,実地について人体構造を観察した。著書にこの時の解剖記録『臓志』がある。その解剖は,杉田玄白(1733〜1817)の『解体新書』を遡ること17年前のことであった。この石標は,山脇東洋が日本で最初の解剖を行った六角牢獄の跡を示すものである。

所在地中京区六角通神泉苑西入南側
位置座標北緯35度00分26.6秒/東経135度46分13.4秒(世界測地系)
建立年1976年
建立者(山脇東洋顕彰会)
寸 法高124×幅19×奥行19cm
碑 文
[北]
日本近代医学発祥之地
[東]
山脇東洋顕彰
[西]
昭和五十一年三月
調 査2002年2月5日
備 考平野国臣外数十名終焉趾(NA097)山脇東洋観臓地(NA098)と並び立つ

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